2009年11月 6日 (金)

現代がおかしいという自覚は時代を変える力になるだろう。

テレビなどで山の中の廃校や無人の農家を見るたびにかつて何百年も続いた家族が戦後少しずつ離れ残っているものも老人ばかりというような村落もある。農村の凋落は心の豊かさの喪失でもある。嘗て農民は素朴の象徴のように思われていたが今では時として都市人が驚くほどこすいと思うことも間々ある。それは当然かもしれない。手塩にかけた作物を安く売ったら子どもや孫を学校にあげられない。現代生活が日々お金なくして送れないからだ。現代生活はようく観察するとおかしなことが沢山ある。カタチの整わない野菜や果物は市場では受け付けない。日本人は美的な国民で見てくれを重視するので、農民は農薬使ったりビニールハウスで虫の食わないカタチのきれいな人工的な作物をつくるようになる。昔のようにいびつだったり多少虫食いがあったりした天然のものが人間にはいいのではなかろうか。この頃工場野菜なるものが発達している。土を一切使わず人工光線と水それに溶かした栄養で育て水も消毒循環してつかうので作物は洗わずに調理できる。極寒地や砂漠地帯では効用はあるだろう。また将来火星あたりに移住する準備としては面白いだろう。しかし燦燦と太陽の光を浴びて育つ野菜や果物は人の目に生きる喜びを与えるだろう。世界がみな有機農業をやり食糧を大切にし神への感謝の気持を持ったら工業が後退するが人間のテンポと幸福度はきっとあがるだろう。そして何よりも世界の人口をコントロールすることだ。文明が発達して自然の力も人間の力も弱まった事は確かのようだ。機械力に頼りすぎれば人間の肉体力も考える能力も落ちたと思う。現代文明の目指す所はボタン一つで自分の欲望を瞬時に充たすことだ。わかものはこんなイージーな生活に慣れてしまっているので味馬鹿になってしまっている。フランスでもバゲット(細長いフランスパン)の味が落ちたともう30年も前からいわれている。スーパーなどで売ってるバゲットは実に不味い。しかし若者はそんなことに頓着しない。それより食べながらテレビを見たり何かやったりするほうに気がとられるからだ。この頃自分のやりたいことやって食べていきたい若者が多いことは大変結構なことだがそのためレベルダウンを起こしていてそれが日常化すると舌馬鹿になる。絵なども素人が平気で売っているので一般が絵が分らないのでちょっと見てくれがいいと売れる。その結果若い絵描きも緊張無く仕事をするようになる。本当のアートは余技でやるのとは次元が違うのである。現代は玄人と素人の限界が無くなったといわれて久しい。スポーツもそうだ。昔は相撲はプロとアマの境界は歴然としていた。それは修行、稽古の仕方が違っていた。流汗悟道を地でゆくものだった。しごかれて死んだ新弟子がいましたが若い兄弟子も手加減がわからないのかもしれない。昔もこんなことがあったのだろうか。嘗てフランスの画商などは50前の画家を買うようなことは無かったといわれる。私は73だがこの頃また何か少し分ったような気がする。本当に何かが分るには50年はかかるだろう。或いは北斎のように90になって写実が分ってきた、かの天才にしてかくいわしめるほど芸の世界は深いものと思いたい。批評家なども芸(術)の深さが分らないことも多くとにかくボタン一つで事足りる文化は全てのレベルに影響しているだろう。楽をすることが習慣になると知能のレベルは確実に落ちるだろう。松下幸之助の政経塾で庭の落ち葉を毎日塾生に掃かせたら木の葉が全部落ちてから掃いたら1回で済むのじゃないですかといったら、幸之助が10年たってこれじゃどうにもならんなといったとか。しかし今そこを卒業した中堅政治家たちが明日の日本をよくしようと奮闘していて塾の教育が時代を正していることを我々は見る。社会に理想や夢がなければお金様に蹂躙されること請け合いでしょう。最近農業にスポットが当たりはじめてきているので日本の底力が再び地湧の菩薩のように湧き出てくることを期待したいし一翼を担う力は無いまでも声援は惜しまないつもりだし自分本来の仕事はボケに抗して頑張りたいです。

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2009年11月 4日 (水)

失敗の後に学ぶことは尊い。

ある科学者の仏教について書いた本の中にこんなことがあった。文明をバスにたとえて、科学はエンジン、欲望はガソリン、それらを煽り立てるアクセルが知能、それらを制御するのがハンドル捌きとブレーキは宗教と道徳、現代文明はエンジン、ガソリン、アクセルだけが巨大化し加速化し、制御役のハンドルとブレーキがバスという巨体の割には小さすぎ、暴走をコントロールできない、乗客である現代人はバスが事故を起こしたり暴走したり放り出されないかと不安に怯えている。現代は科学が技術と結びついて科学ということは科学技術と同意である。しかし本来は別のもので科学は哲学の分野で神の創造した自然を神の考え同りに理解するところから起こったものである。それが19世紀にワットが蒸気機関を発明しそれが産業革命を起こしたころから科学が技術を意味するようになり科学者が哲学から離れ科学は科学技術と同意になり科学者の哲学離れが加速化し原子爆弾を生むまでになってしまった。これは文明のハンドルとブレーキ役の哲学、宗教、道徳が物質の繁栄に幻惑され陰に追いやられてしまったことによる。芸術や文芸も文明や人間批判という機能を内包していながらおおくの芸術や文芸が物質文明の幇間持ちに堕したのは、人間が物質の悦楽を止揚できないまでレベルダウンを起こしているのである。世界おしなべてそうなってしまったが漸く船の揺れが転覆寸前になり復元しなければというバランスへの動きが世界同時的に起こり始めている。古代、神のお告げに対してノアだけが大洪水の到来を信じ万端の用意をしました。現代では神のお告げは一部の科学者の予測、身近な植物や気象現象などの異変、世の中で起こる事件の異常、異様性など文明そのものが洪水を起こすことを世界の多くの人たちが感じている。とにかく心の安定、安寧を失っているのである。小金をもって生活に心配なく消費人生に満足している人がいるとすれば世界の未来を心配しないデカダン(退廃)の海に沈んでいるジコチュウというべきでしょう。とにかく人間が大きなバスのハンドルとブレーキの重要性への認識が特に20世紀以来欠けてしまったのだ。これからそれを取り戻す意識をもち実行するかに地球号の復元はかかっているだろう。同業者であるアーチストの多くが内的なものを解放としょうして糞も味噌も一緒くたに表現の名でしたこともブレーキの効かない欠陥人間の行為であったことも否めない。瞑想の伴わない高度の文化はありえないし、現代は教育にも瞑想を学ぶことが不可能な知識の詰め込みに時間をとられアーチストたちも短いスパンで金を稼ぐことに汲々しものを生める環境は無いに等しい。アートも仏教も「空」を把握するのが究極ではないのだろうか。そこには人間の傲慢さや物質の幻想が介在する隙はないだろう。そこにこそ人類の精神的進化の骨頂があるのではないか。20世紀の迷妄を通して漸く人類が何かに気がつき始めているように感じるこの頃です。

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2009年11月 1日 (日)

奉仕のない人生は人生ではない、また犠牲の伴わない奉仕は真の奉仕ではない。

私は最近の日本人で感心したひとが何人かいますが、それはアフガニスタンの山岳地帯ペシャワールで病院を建てたりサンダル工場をつくったり、最近は古代からの技術で灌漑水路をつくって農業を復活させたりしているお医者と、タンザニアで水田耕作を広めている人と、ネパールのアンナプルナの北面の標高の2,000メーロル以上の貧しい一帯にまずリンゴを栽培し、動物を放し、世界で一番高い所で米作を成功させ、自らの手で20,000万の人口に唯一の病院をつくり貧しいものは無料という、ご三人とも地域の人々のために全力を投じています。最後のネパールでやっておられる近藤さんは今年89歳で日本に後援会もありまた農業や医療のボランテアが日本から援助にいっています。マザーテレサのように世界に光を点すと世界が感動しボランテアが世界から集まり、金もあつまる。この金が唯一の目的になった現代社会で本当に感動すると人は大切な金を出します。この心の貧しい現代で人は心の深いところでは本当の生き方を探しているのではないか、むしろ豊かになって若者は我々ロートルよりも本当に価値のある生き方を望んでいるのではないか。長い自民党政権は国民に金の鼻薬を与えて維持してきましたが国民の何か大切なものの喪失感になんら対処しないまま60年が過ぎ奴隷のような日本国民も漸く自民党にNOをつきつけました。多くの批判はあるだろうが新しい希望ある日本に再生するために国民は鳩山政権に批判の目を曇らせず応援し見守る度量が必要でしょう。ネパールの近藤さんは日本の農業のやり方を厳しく批判しておられる。化学肥料も消毒もなしにニワトリや家畜の放し飼いで彼らの糞尿が肥やしになり立派に土壌を改良できる。この温暖化の進んだ日本で何故稲を刈り取った後を再りようして家畜の餌をつくらないのか、また有機卵は当たり前でそれを2倍も3倍もで売るなんてとんでもないともいっています。世界一痩せた土地を彼は動物の放し飼いの糞尿で豊かにし化学肥料や化学消毒をせずにネパール一のリンゴやメロンやコシヒカリをつくっています。近藤さんはあと15年もすればこの一帯が豊かになり彼が死んでも維持できるといっています。17年前はコメも大麦、小麦もできず。キビ、ヒエ、ソバしか栽培できず越冬野菜はソバの葉を乾燥させただけ食事はこれらの粉を練っただけ、百姓でありながら食うや食わずの生活でした。いまは果物をカトマンズに出荷し病院や小学校もあり漸く豊かさの端緒につきました。かれはあと15年は生きなければならないといっています。なぜなら彼が生きてるからこそ日本の支援者が何百万円の寄付し応援してくれるからです。こういった人たちが日本人を敬愛し平和の使者となり引いては世界平和に貢献しているマザーテレサに順ずる人です。人間は本当に良いことをすれば3食を2食に減らしても豊かな心を持つことが出来るだろう。誰かがいってました。奉仕のない人生は人生ではない、また犠牲の伴わない奉仕は真の奉仕ではないと。その犠牲が喜びにならなければ続くものではないでしょう。去年秋葉原で7人殺傷した青年は世間から人々から完全に見捨てられたと思ったのでしょう。もし彼がペシャワールやネパールで奉仕をしてたら大きな自然と人間の恵みに抱かれていたでしょう。今非正規雇用の若者の多くは人生の未来に不安を抱いているでしょう。これから工業重視から農業を復活させ自然の好きな人間は農業をやってもまあまあ生きていけるだけ収入があがるようにし、農業体験民宿を国民運動にまで高め先ず外国旅行より日本を知ることを国是としたら日本は夢の国になるでしょう。フィンランドはかつて失業率18パーセントの貧しい国だったそうだが今、世界一教育レベルの豊かな国になっているそうです。日本は今、先進国中下から8番目の貧困率の多い国に転落したそうです。これはまぎれもなく自公政権のもたらした結果です。これを黙ってみていたジャーナリズムと国民のせいです。これは猛省する必要があります。毎日テレビを見て旨いもののタレントの食らい歩き、これだけは止めて欲しいです。文明の進歩にモラルの硬質は不可欠です。高度のテクノロジー社会で人間の内部が腐っていては益々悪くなります。

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2009年10月30日 (金)

自己の深奥を見つめ、自己の欲望をコントロールすることにより真の自由感を獲得したいものだ。

サル学、霊長類学の河合マサオさんが、人類は自然の中での進化をやめて自分自身で進化をつくるようになった。益々自然の生態系内での調和からはみ出すようになったということです。ということは我々自身益々人類をコントロールしていかねばならないということです。人間のつくった文化や文明には必ず光と影が存在し、特に影の影響を認識し忘れてはならないということです。嘗ては国と国が戦争をし国民が犠牲になりましたが今日では消費文明の進歩で地球環境の悪化で人類そのものが存亡の危機に曝されています。人類史上かつてなかったことです。100年後に人類が滅びるかより高度な文明に転換できるか我々自身の意識とテクノロジーの転換にかかっています。河合さんは霊長類(サルと人間)を研究する中でチンパンジーなど本来草食や木の実を常食にしているが時々他の群れのチンパンジーを殺して食うそうです。また縄張り争いで股裂きをしたり残虐な行動をとるそうです。彼はこういった殺しが人類にまで痕跡を残し、これを人類は抹消できない、これが原罪だといっています。私の解釈の原罪は人間は神が定めた法を破って自分自身で善悪を決め理性によって行動の原理にしたことかと解釈しているのですが。自然本来のなかには善悪は区別して存在はしていないでしょう。人間だけが善悪をつくりました。それは人間だけが欲望を増殖し続ける存在だからそれをコントロールするために善悪が必要なのです。近親相姦が禁止されたのは本能なのか、遺伝的に悪いということはある動物も避けている事実からも推測される。集団がうまく機能するために人間は神や善悪を創ったことは確かです。理性を発達させながら大脳を大きく進化させたのです。理性の産物である文化や文明は今やとてつもなく発達し、ということは影の部分も巨大化しているはずです。20世紀は光の面だけ享受し過ぎ影の面を等閑にした結果地球環境の破壊が進み人類そのものが危機に瀕しています。常に文明の影の部分に注意しないとこんなことになります。そういった意味で人類の理性は人間の欲望をコントロールできなかったということで、現行文明は精神的には高度なものとは言い難いです。ということは精神的にもっともっと進化したら地球も我々も高度な文明を享受し得る可能性があるということです。これから我々は文明のマイナスである影の部分を注意深く観察することを忘れてはならないでしょう。たとえどんな些細なことでもそのマイナスの影響を顕在化する努力をしなければならないでしょう。たどえばケタイの発達は面と向かって対話が出来なくなるとわかったら学校内では皆のケータイを預かるとか徹底して管理することは必要だろう。ケータイ依存症という病気もあるくらいです。ゲームやパソコン依存症もあるでしょう。私はブログの投稿とメールの受信と発信にしかパソコンは使いません。稀に辞書としてや映画のプログラムと時間を調べるくらいです。おかげで切手と便箋、封筒代は節約できます。しかし相手によっては手紙にします。これはこれで格別な喜びです。今の文明が進むと一人ひとりはますます孤独の度合いは進むでしょうし、人間の内部の形成がヴァーチャルな機械化され人工で紡がれたイメージによってなされる可能性が強まり、自然と人間性に欠けた人間になり易く

ものごとを短絡に考え易くなりそうです。現在の犯罪をみているとテレビの殺人ドラマを見ているようです。犯罪者は殺した相手の人生の値打ちなどさらさら頭のなかにはありません。日々の殺しのドラマはストレスの解消になる面より殺しを示唆するほうが大きいのではないでしょうか。これも文明のマイナスすなわち影の部分でしょう。また100年に1度といわれる今日ジャーナリズムによる報道がかえって不安を必要以上に煽るといわれます。集団ヒステリーになり財布のひもを必要以上に引き締めさせてるようです。ブッシュのとった弱肉強食政策、幻想による金融上の実質のない儲けの風潮をあおった結果世界は今までにない混乱を増長させました。やくざまがいの大統領でした。その子分であった小泉首相も日本を弱肉強食的情況を加速させた。文明の影の部分は今や人間内部の自然を壊そうとしています。内部の自然とはどういうものかそれは親は子を慈しみ健康で勤勉で社会に役立つ人間になることだけを望みというかつての望みから一流大学を出て高級官僚か一流企業に就職していい生活をすることだけを小さいときから望み、社会に尽くす人に親切な人間になることは親の視野にはない。こんな家庭教育をしていると非人間的ですからキレる子、中には親を殺すのもでるでしょう。社会の犯罪を見れば人間存在の在り方や文明の影の部分が浮き彫りにされるでしょう。一滴一滴の雫が時間の経過というエネルギーによって石おも穿つように我々は日々の欲望によって影の部分の存在に目隠しをしてはならないだろう。若者や医師、教師、タレントなど薬物を使用している現実は競争とストレスの大きさとその裏腹に規範喪失からくる生存そのものに宿るデカダン(退廃)がもたらすものであろう。教育のなかに自身の深奥を直視するということと自己を律するということを中心に据えないと何がなんだかわからないジコチュウの人間になってしまうだろう。欲望を無制限に増殖させた20世紀文明からの脱却は理性を働かせて自己コントロール以外にないだろう。

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2009年10月28日 (水)

意識を変えることそれこそが一番大切です。

この頃学校の教師、学生、タレントなど大麻、ドラックなどを使っているのが話題になっています。その原因には競争社会、ストレス、不安などが引き金になっていると思われます。それを売る側には恰好の時代といえます。それに現代の中年や若者は学校でも家庭でも自己コントロールを訓練されていないので自分の不安という内部と向き合って対決すること自体無知であり避けてしまっているので売人の餌食になりやすい。また若い子は興味で仲間で試すことから本格的に入ることも多くその危険性を徹底して教えなければならないだろう。事件を起こすたびに多くの教師が評判がよいのは平生努力をしてストレスを溜め込んでいるのだろう。現代はストレス社会といわれます。これはより便利な生活をするために便利なものを手に入れるために競争が益々熾烈化しているのでストレスが増えるのは当たり前です。出費を少なくすればストレスは確実に減ります。学校の教師は本来面白い職業です。野菜を育てるのだって面白いのに人間を育てる以上の面白い職業はないでしょう。しかし現実はストレスがたまり陰で欲望の捌け口やクスリを用いないとバランスが取れなくなるというのは教育行政、社会の教育に期待する目的が合人間性的でないことの証明だろう。一つの学校が進学率というものから、不必要な細かい採点から解放され一人ひとりの生徒の人間としての人間性の成長を中心に見守っていたら現在のもろもろの問題の多くは派生していなかったのではないか。子どもが凄い事件を起こしたり、自殺するたびに平生成績のいいし良い子だった、虐められていた風はなかったと100パーセント校長なり教頭など同じコメントをしている。日本の教育は人間の暗闇を避けて蓋をして効率だけ追っているので教師自らも自分の深淵が分らず従ってせいとの暗闇が分らず、子どもが発する信号が分らないのだろうし30何人かの生徒の成績付けに追われればそんなことに目を向ける時間もないだろう。つまるところ長い間文科省は本当の人間教育から目をそらし知識を効率よく教えることを最大眼目にしてきました。しかしそれは真の効率をあげることができなかった。この30年で日本の学力は国際的にみてもかなりダウンしましたし多くの大学の教師の印象でも知的レベルはダウンしたと証言しています。人間と言うものは自分の人生で一番やりたいことを見つけたときは死に物狂いで勉強してマスターするものです。それが小さい時から親が東大めざして投資しわが子が一生効率よく生きていけるように願ったなら国は早晩傾くでしょう。家庭も学校も教育は社会のため国のために尽くすことが己のためになるのだと小さいときから教えこまなかったらジコチュウのおぞましい人間になるのは当然中の当然です。今の日本人が例えば公園に何人かのホームレスが常住していて散歩人が話しかけるだろうか。話しかけ何か必要なものはないか聞くだろうか。各家庭には衣類や食べ物が余っているはずです。それを持ってきてあげるということはちっとも懐が痛まないと思うのだがほとんど関知しないのだ。いつも感ずるのだが日本はほとんど日本民族なのに競争が激しく同情心と寛容さに欠けると思う。昨年暮れ日比谷公園に職を失って急増のホームレスの人たちに食とテントをくばった名はおぼえていないが一人のリーダーが今回政府の作戦室のメンバーに起用されたとニュースで聞きました。鳩山さんの政治理念の第一に‶友愛″をあげて反対の人間が幼稚だと笑うものがいますがいままでの政治家は具体的な経済の効果だけをマニフェストにあげましたが日本の政治もようやく此処までになったかと私は喜んでいます。日本人は友愛をすっかり忘れた国民になっているのです。当たり前のことを前面に出し国民もそれを支持しなければ、常に経済第一と叫ぶようでは、この日本の情況をみたら教育も日本人の質をみても経済第一が結果的に人間をおぞましくしてしまったことに気がついても良いはずです。分け与えることの出来ない国民は決して上等なものではないでしょう。テレビを見ると毎日毎日一日何回も旨いものの店の紹介と料理番組、これだけ国民が食らい過ぎで糖尿病になって今や国民病になっているというのにこれらの番組の氾濫、テレビ局も反省したらどうですか。もっと‶流汗悟道″を国是として日本を再生する努力をしてはどうですか。おそらく殆どの人はどっかおかしいとは思っていますがそれを突き詰めて考えようとはしません。せめてメデアと知識人が声をあげるべきです。意識を変えないことには世界は変りません。意識を変えれは自分も楽になります。楽になるとは幸せになることです。そしてリラックスできます。皆がリラックスすると生き易い社会になります。私はなんとかこの社会のテンポを減速しなければと本当に思います。

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2009年10月25日 (日)

我々ロートルは若いひとに凄い老人力を見せようではないか。

今年の東京モーターショウの出店は3メーカーだけという。前回は26社だったが。いかに不景気かということと自動車産業が大きな曲がり角に来ている。これから電気自動車には新規のメーカーがどんどん参入し値段も嘗ての液晶テレビのように五分の一くらいになるかもしれない。そして大型量販店やホームセンターで売られるようになるだろう。将来お寺なども檀家が高い戒名代を払わなくなるように既成の権威は失墜するだろう。しかし大衆は常に王(権威)を求めているので芸能界やスポーツ界のスーパースターなどそれにとって代わるだろう。政治家などあまり尊敬されなくなったのも時代の流れというものだ。漫画家やアニメ作家も今や一般のアーチストよりスター性が高い。版画家である私が言うのも何ですがアートもてんで面白くなった。大衆が離れるわけです。価値観が代わると既成のものが色褪せるのは当然です。しかしその中には絶対に色褪せない永遠を含んだものもあるはずですがとばっちりで一緒に色褪せて見えてしまう。これも時代の流れというものだ。明治維新も良いものも数々あったが一見色褪せて見え他と一色たんにされほうむりさられた。人間の歴史は強者の歴史であり繊細さの生き残るのは稀である。今日は文化において強者しか世に出ないということがますます顕著になるだろう。世界のクラッシック音楽教育も同じ巨匠に付きたがり同じような音楽になってきておりかつてのように百花繚乱豊饒な音楽土壌は失われたといわれる。権威主義は無くなるどころかこんなカタチで生き続けています。極端にいったらカラヤンが芸術性皆無にもかかわらず世界に君臨しているのも殆どの人が本物がわからなくなりマスコミによる知名度によって目安にするという自分の脳を使わなくなってきているということだ。何か世界がまともでなくなったことはたしかだ。アウトサイダーの目から見ると何かおかしい。しっかりした規範意識が世間から消えるとおかしくなっていてもそれに気がつかなくなる。何回も書きますが山形のキリスト教独立学園の安曇力也校長は教育の根本に人間の暗闇(内奥)を直視する。そして3年間で自分が一生で本当に何がやりたいかを真剣に探す。本当にやりたいことを見つけた者は30年後に花開くといいます。ところが文科省の教育方針は人間の暗闇に蓋をしそこを避けて通し企業に役に立つロボット人間をつくるために教育していく。独立学園は受験勉強は一切せず、テレビ、ケータイはご法度、卒業式に証書は授与せず式が終わってから校長室で一人ひとり手渡し卒業式は一人ひとりが自分の得たものを皆の前で開陳するそうだ。教育には学校学校の個性、クラスにはくらすの個性教育があってよく、そうすれば教師も校長も教育に命が賭けられるというものだ。自民党が60年政権をとっている間に一番大切な教育が日本人の大切な面を失わせてしまった。これは何も自民党のせいでなく我々国民全てのせいだが特に知識人の責任は重い。しかし独立学園のような学校が存在すると言う事は世界にマザーテレサが存在したように一灯を点じてくれる。まだ絶望ではない。昨日友人の牧師夫妻がお茶にいらした際この話をしたら何十年か前普通の高校の給料が10万円の時三万円だったといいました。アメリカ的価値観ではいい教育をするには高い給料を払わねばならないだろうが本来の日本人的価値観では本当の教育をさせてくれるなら給料は要らないと言う人もいたろう。これは100年前のことだが。金というものは限りなく人間を腐らせるものだ。しかし漸く20世紀の浪費の末に人間が何かに気がづきだし変革のうねりが産声をあげているのが聞こえる。日本号の舵を取るものが変革の行く末を見定め誤らないように新たなる船出をしなければならないだろう。間違いなく世界は一つの村にむかって動いている。もう日本に住む外国人の多くが日本に溶け合って元気に仕事をし生活しているのを感じます。自己の欲望をコントロールし人間の規範をしっかりさせたら地球は素晴らしい星になるだろう。人間が生きるのにそれほどのものはいらないと思う。ただ美しい地球への夢を皆で夢見たいものだ。このままでいったら精神病者は増えるばかりだろう。都会の老人はみな農村に移ってそこで軽い農作業をしたらもっと体が強壮になるだろう。ただ楽に暮らすとボケにもなり人様の世話にならなければならなくなる。沖縄のボケ老人は農作業を続けていて健康的といわれる。75でヒマラヤに登頂した三浦雄一郎も70の頃は肝臓も悪く体重も増え危機感を覚えからだを鍛えなおしたそうです。今の日本人も老人も例外はあるが社会に甘えすぎているきらいがあるのではないか。若者の将来の困難を考えたらもっとしっかりする必要がありそうだ。肉体は適度に鍛えれば死ぬまで自分のことは自分でやれるだろう。老人の足腰が弱るのは若い時の食生活、習慣が大いに関係してるだろう。老人がまず率先して日本再生へ努力しなければならないだろう。老人力を若いひとにみせたいものだ。

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2009年10月24日 (土)

新しい文明のうねりはすでに加速化している。

時々私のブログの投稿が長くて疲れるとコメントが入る。現代人は少し長いと疲れるらしい。漫画や映像、ケータイのメールなど簡単な表現にすっかり馴れてしまっているので少々長いものをうざいと感ずるのだろう。私自身簡単な読みやすいものを書く気は毛頭ないので読んでもらわなくて結構なのです。現代はカラーマゾフの兄弟にしても漫画で見れるので長い原文を読む時間もないだろう。しかし漫画は漫画、原作は原作、食べ物にしても現代の若者は柔らかいものしか食べない。フランスパン(バゲット)が硬いカテゴリーに入るんだから驚きだ。私は毎日玄米を食べ、高いから買えないがスルメをあぶって食べたい。アーモンドも出来るだけ生のを買うようにしている。なるべく自然の状態で食べたいと努力している。硬いものをよく噛んで食べると脳が活性化するといわれる。年のせいもあるかもしれないが私には穀物、野菜、海草。マメやナッツ類を食べていると一番調子がいい。チーズなど大好きだが食べた翌日の便はべとべとして臭いもよくない。好きだから時々食べるがいつも後悔する。肉は本来好きなのだがわたしは 移植腎で生きているのでなるべくたんぱく質は控えている。映画ラストエンペラー、溥儀がこどものとき御付の医師が毎日彼の排泄物の色と臭いを嗅ぎます。便は健康のバロメーターです。私も毎日いろだけは見ます。時々穀物の香りがして紙に全然つかないときは最高で、嫌な臭いのときは前日何を食べたか考え注意します。一日一日の積み重ねが人生そのものですから。一生美食をしたものは後年悪い結果を生むこともあれば梅原龍三郎のように一生美食と酒を楽しんで90まで生きたひともいますが私は死後も生命はなんらかのカタチで続くと思ってますから53で腎臓移植をして再生してからは注意しています。そのせいかこの10年ちょっとした風邪にかかることはあっても寝込むことはありませんでした。疲れて丸一日どてらでごろごろしていることはありますが。若い時無茶して親からもらった健康体を損ないました。若者と青田の稲は馬鹿が褒めるとお袋がよくいったものです。今は利口にはならないまでも若い時よりはましになったかなあ。とにかく人間は日一日と心も体の変ります。白隠禅師など中年まで結核、うつ病、ノイローゼなど病気の問屋でしたが中年の時ある行者に健康術を授けられ、江戸中期の日本人の平均寿命が55歳くらいだったでしょうから、80歳は長寿でした。中年でも生活を変えれば十分健康は取りもどすことは可能でしょう。私の食の哲学は美食よりも健康で空腹のときに食べる麦飯か玄米に旨い味噌汁と1,2菜に優るものは無いと実感してます。稀に高い懐石料理など或いはフランス料理などご馳走になりますが旨いと思ったことがありません。仕事をみっちりやったあと自宅で食べる食事ほど美味しいものはありません。家族揃って食事が多くの家庭で取れなくなって久しいです。家庭崩壊や家庭内孤立などになるのも食事を一緒にとらなくなったのも大きな理由ではないだろうか。仕事の話も食事をともにしながらというのも今でもあるだろう。パソコンと事務所だけの取引では数字だけの話で機械みたいなものです。食事しながらの取引は相手の人生もわかったりして友情が生まれる時もあり職場が変っても友情が続いてまた別の職種での助けや情報が手に入ることもあろう。重層的な人間関係は人生を豊かにするだろう。文明の利器が進み人間が孤独、孤立になる面もあるだろうが新しいメデアを利用して人間関係の重層化を高めることもできるだろう。現代人が長い文章を読めないのは努力して表面だけでない友人をつくる忍耐もないことと併行しているのではないか。簡単につくれる友人は殆ど同じ部類に属する人間であまり自分を向上はさせないだろう。しかし自分と対極の考えの人間は最初はわからないしむしろ逆なでされるたりするがじっくり話し合って初めてこいつ凄いなあと思うものだ。多くが自分のタコ壷の中で生きているようなものだ。それでなくとも日本人はみな同じような考えでないと不安を感ずる国民だ。漸く60年ぶりに政権が交代したがこの60年染み付いた常識から政府を批判しない方がいいでしょう。時代が大きな曲がり角というか大変革の時にさしかかっているので自分の先入観からものを見ないように努めなければならないだろう。世界の力関係は急速に変っていくだろう。これから中国がアメリカに変わる覇権国家になっても世界核戦争を起こすような馬鹿はしないでしょう。世界の人々は戦争の愚かさを身にしみて感じるほど進化してきていると私は感じています。とにかく世界が一つの村に向かっていることはもう否定できないのです。それには沢山のクリヤーしなければならない問題は沢山あるでしょう。そのひとつに人口をコントロールしなければならないというのが私の持論です。これ抜きにして未来はないでしょう。そして文明の中心に人間の欲望の抑制が規範化しなければならないでしょう。食いたいもの他人の分まで食らって病気になって健康保険の国庫の予算が際限なく肥大し、税金が増えたり、そんないたちごっこが欧米生まれの人間観、価値観、文明観でしたがこれから根本の所での変革が必要でしょう。人間が習慣の中で眠っているのと覚醒とでは180度の開きがあるでしょう。私の予感はもううねりは始まっていると思う。

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2009年10月20日 (火)

人間進化の目的は神の国へかえること。

テレビでマツタケの赤松の根との共生の模様を顕微鏡の映像を通して見た。マツタケの菌糸が根の細胞の周りに張り巡らせて共生しているさまが一目でわかった。そこで松の細胞から養分をもらい、菌糸から出るミネラルなどの養分を逆にもらってお互いの生命を維持している。マツタケが貴重なのは赤松の根の細胞との共生というカタチでしか共生関係をむすべないというところにあります。マツタケ独特の香りも赤松のヤニの成分と関係あるだろう。いわゆる我々が食するキノコはキノコ自身が危機的状況にならないと形成されないそうです。普通は菌糸が納豆の糸ひきのようになったじょうたいで土中に存在していますが急に環境が寒くなったりして危機感を覚えるといわゆるキノコ状のカタチに変容し傘のしたから胞子を空中に飛ばし子孫を残すということです。キノコは実に神秘的な生物でまだ分らないことが一杯あるそうです。常々私の持論は生きとし生けるものが何億年も生き続けているということは例外なく人間と同等の生き延びる知恵があるということです。なにも哺乳類だけでなく微生物にいたるまで同等の知恵を持っているといいたいのです。我々が現在到達した科学のレベルでもワラジムシが3,000本の脚を使って自発的に餌のほうへ或いは水の温かいほうへあるいは仲間のいる方へ何故行くかさえ分らないそうです。まだ生命ということ、その生命体が何故自発的に生命を存続させているかわかっていないということです。我々は神が宇宙を創造したとして神との契約を破り人間の理性によって善悪、真を判断するようになってエデンの園を追われました。しかしまだ生命とは何か、何にもわかっていないのです。科学も50年もたつと定説が根本的に変ることさえあります。私の間違いかも知れませんが私の高校時代、光=エネルギーとは教えられなかった。しかし今はこれが認められています。現在では心の中で念じる内的エネルギーは科学でいうエネルギーではないとされています。しかしその内的エネルギーが細胞に変化を与え活性化したとすればそれはやはり正真正銘のエネルギーではないか。私の直感は肉体と精神はあざなえる縄の如し不即不離どころではなく本来分けることの出来ない一体そのものだと思います。精神は肉体の働きによって生ずる現象が脳に記憶された映像のようなもの、不幸な人間は長い間にその記憶されたものと現実の肉体の活動との間に乖離をおこしてきた。それがエデンの園の追放の意味ではないか。人間の悲劇は肉体と精神が二元化したことによるもので人間が存続し続ける限り一元化(本当の真理へ復帰のために)への努力をせざるを得ないのではないか。このためには宗教と科学が未来において必ず融合するというのが私の直感です。西洋哲学の出発点そのものに決定的な誤謬があるのではないか。論理学は本当に成り立つのであろうか。動物が人間の気持を察することは明瞭なことです。このこと一つとっても西洋の科学の根拠が疑われます。どうも生命は因と縁によって複雑に絡み合って人間には真実は見えないように思われます。若し150億年前にビッグバンが起きたとして、これから30年後くらいに宇宙は膨張と収縮は何回も繰り返していると分ったらまた我々の宇宙認識はかわるだろう。我々の中には宇宙全体が入っているという考えはどうだろう。マツタケが何十万年か前あるとき赤松の根っ子の菌糸を絡ませ相手も嫌がらず栄養の相互補給が了承され何百年たちマツタケの香りも独特に進化した。これは赤松の成分による必然と或いは虫よけの効果もあるのかもしれない。キノコによってはある瞬間ヴィールスにより自ら腐らせその臭いで虫をよび胞子を運んでもらう。この知恵は人間並みと思わないだろうか。あるいは小さな魚が大きな魚の口の中の汚物を掃除する共生があります。小さな魚を食糧として食べるよりは掃除してもらったほうが差し引き得ではないのかと最初に勇敢に口の中に飛び込んだ魚と大きな魚との了承、これも一つの愛の行為と看做されないこともなかろう。自然界には数限りなく共生関係は見られる。ここから生きとし生けるものを必要以上殺してはならないという思想が導きだされないだろうか。地球上の全ての現象は知恵そのものではないだろうか。今、片輪(半分の真理)である科学思想によって地球上を雑物で覆い地球本来もっている知恵が隠れてしまっているのではないか。神に生かされなくなってしまっているのではないか。この現在が地獄であるという自覚は必要であろう。神が人間を自らに似せて創ったということは人間が自由に生き生き生きてしかも則を越えない聡明なものとした筈です。進化の目的は神の元へ帰ることではないだろうか。

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2009年10月19日 (月)

イスラエル国の無法を世界に曝せ。

今度イスラエルの若い退役兵士7人のパレスチナでの告白を取材、まとめた日本の映像作家によるフィルムが上映されることになり、その内容の紹介があった。この若者たちは入隊し訓練を受けてすぐパレスチナ側に入りパレスチナ人の監視をし彼らの道路側の玄関、窓は閉鎖される。内部から狙撃されることを避けるためである。住民のあるものは屋上にでてそこから非常口を伝って外にでる。ある女子障害者の縫製施設に侵入しミシンその他は持ち去り、仕事台なのを滅茶苦茶にこわしたり、真夜中住民の家に侵入し子ども老人を外に放り出し、家捜しする。理由はテロがいないか確かめるためと称して。若いイスラエルの兵士(大抵は2年の兵役義務期間中)はみな頭初一様に非人間的と思うそうです。しかしそのうち仲間が殺されたり危ない目にあったりしているうちに非人道的行為が麻痺してきもっと時間がたつと残虐行為に快感さえ感ずるようになると告白している。これはイスラエル兵士に限ったことではなくベトナム戦争、日本軍の中国侵略の時すべての戦争では命の危機感と獣性のむき出しなどで人間が変ってしまいます。平時市民としてはよき家庭の父親が戦闘や占領時には悪魔と化する場合も珍しくない。しかしベトナムからの帰還後精神に異常をきたしたアメリカ兵がかなりあったことは報道され、イラクでも同じことは起きています。かつて国と国との戦争は政治折衝で解決できない時の最後の手段として軍事力にものをいわせ解決してきました。現在世界は国と国の戦争は殆どなくむしろテロとの闘いである。テロとの闘いでは市民を巻き込むことも多くそれが住民の憎しみを買いそしてさらにテロを増長させることもしばしばである。嘗てのように武力は機能も効果もすくなくなったと思う。アメリカがイラクに侵入したことは完全に国際法に違反する事であり、アメリカの軍事力の傲慢さを誰も停めることが出来なく、それがアメリカ衰亡の引き金になりつつあることも確かであろう。世界の理性が高くなり武力による屈服が永続的な解決をもたらさないことを人間は今やわかり相互理解と愛によってしか解決できないことを知りつつあります。アメリカがアメリカ的価値観を押し付ける時代はとうの昔に去って相互の利益と平和を辛抱強い対話によってしか永続的な解決はもたらさないということは明らかであろう。イスラエルがパレスチナに行った理不尽な行為は天下の白日の下にさらしその過ちを改めさせなければならない。イスラレルが建国したときパレスチナと合意をしたパレスチナ人の土地の90パーセントにイスラエル人が入植しているとのことです。アメリカの後押しがなかったらいままでイスラエルはこのような無法はできなかったでしょう。日本人の一部に中国の発展を不安視するものがいますが私はむしろアメリカと拮抗できる国があったほうがアメリカの世界戦略に歯止めをかける意味で良いと思います。誰がなんと言おうと世界は一つの村になっていくことは歴史の流れです。日本が好きで好きでと住む外国人は沢山います。外国人のほうが日本人らしいくらいです。これから日本よりベトナムのほうがいいとベトナムに住む日本人もでるでしょう。それでいいでしょう。日本に住む外国人の日本語のうまいこと驚きです。日本人はまだ心理的に鎖国のなかにいるのかもしれません。日本の映像作家やカメラマンのなかに世界の不正を自分のこととして永年粘り強く取り組んでいる若いひとがいるということは日本の将来にとっても心強いことです。我々世代が金とものに執着して子の教育を誤ったにも拘らず立派な人間も育っている事は嬉しいことです。時代は動いています。オバマや鳩山政権が誕生したのも世界の質が変ろうとしている象徴です。アメリカ的価値観が地に落ちて初めて新しい文明が芽を吹くでしょう。メデアの発達は善悪両面フィフテイ.フィフテイですが良い面を活用するのはひたすら教育にかかっています。旨いものたらふく食らって肉体を動かさない、ヴァーチャルの世界にずんぶりひたっている今日の生活から簡素な生活と肉体の活動そして無限の可能性のひそむ精神と愛のエネルギーを開発、活用したら病気も少なく健康な世界が現出するに違いない。ただ口を酸っぱくしていうが人口のコントロールなしに健全な世界はできないだろう。今、アフリカのチャド湖がかつての10パーセント以下になって近い将来周辺国の食糧危機が起きると報じてました。これは人口の増大による水の使用の増大と砂漠化の影響といわれています。コントロールしないと将来悲惨な餓死者が億単位で起きるだろうし人口に比例してCO2も増えるだろう。世界はもはやコントロールなしに循環型を維持することはできないことを銘記すべきだろう。

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2009年10月17日 (土)

時代を超える思想が今こそ重要な時もないだろう。

人間が60年も70年も生きてきた価値観、感覚、常識などを変えるということは本当は大変困難なことだ。変えるためには長い間無意識に使っていた基準がどんなものであったかを客観的に見つめることができ、対極の考えが何であるかを冷静に考えてみないと老人が時代の流れから取り残されることは避けられないだろう。自説に長い間固執していると外界が急速に変化していて孤立していると言う事になるだろう。かくいう私がその恰好な例なのだ。この30年美術の変化を横目に見て自説を曲げないで頑固にやってきました。その結果売れなくなりました。芸術には永遠性と時代性の両方必要であるが今日の流れに永遠性は殆ど含まれていず、殆ど時代の心理、感覚を内容として観るものにある種の共感は与えるものの精神や魂の昇華をするような作品にお目にかかることは殆どない。現代、精神や魂の涵養なんて声高に教える場は無いのだろう。埴谷雄高と丸山真男の対談でフルトウイングラーは芸術家とセールスマンが同居するなんて想像もできない最後の人間だ。カラヤンはセールスマンで芸術の才能もあるエンターテナーであるが内容は皆無である。しかしオペラのタクトを振らせると舌を巻くといっています。私自身音楽を聴く耳をもっているとは思いませんがカラヤンは絶対聴いた事はありません。なぜか、華麗な美しさだけしか伝わらなく、私の魂には全然つたわらないのです。私はチェロが好きで昔はバッハの無伴奏チェロ組曲を終日聴いてた時期もあるほどです。お気に入りはヤーノシュ.シュタルケル(シュタッカー)でかれの演奏は禅味があり私の心を深淵にいざないます。私が芸術に求めるものはデイヴェルテイメント(気晴らし)でなくあくまでも精神、魂の進化、昇華である。人類がこの地球上で他のあらゆる存在物のリーダー足りうるとすればより高度な精神性をもつ方向にいくことである。地球上の物質をつかって人生の時間を気晴らしの方向にだけ向けたらリーダーを降りなければならないだろう。世界には単細胞の生物といえどもある種の意識というものがありそれが人間にまで進化するまで無数の意識の進化の段階があり人間はその頂点に立っています。科学はここまでまだ行っていませんが少なくとも人類生存の目的は現在より進化していくことであろう。欧米生まれの物質主義偏重の思想はこの人類の進化をかなり捻じ曲げているといえます。カラヤンとフルトウイングラーの違いは全てのよきものがエンターテナー化して人間が深みから浅みへ退化していることがわかるだろう。人間の観念に永遠、絶対、不易が含まれなくなると安っぽくなってしまうのは今日の雑文化をみればわかるだろう。埴谷雄高と丸山真男の対談を聞いて私の頑固さもまんざら存在価値が無いこともないと自信を強めました。鈴木大拙先生はよく秘書の岡村美穂子さんに今やっておかないと300年後に人間が困るからなあ時によっては1,000年後にといっていたそうです。私も非力ながら現在の情況に合わせて仕事をする気はありません。或いは人間を超えたものとの対話、祈念をしながら制作したいと念じています。全てが気晴らし花盛りの今日信念を続けることが難しいということはかえって大きな歓喜が待ち受けているかも。

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«想像や願いは理性を超えて現実そのものである。