現代がおかしいという自覚は時代を変える力になるだろう。
テレビなどで山の中の廃校や無人の農家を見るたびにかつて何百年も続いた家族が戦後少しずつ離れ残っているものも老人ばかりというような村落もある。農村の凋落は心の豊かさの喪失でもある。嘗て農民は素朴の象徴のように思われていたが今では時として都市人が驚くほどこすいと思うことも間々ある。それは当然かもしれない。手塩にかけた作物を安く売ったら子どもや孫を学校にあげられない。現代生活が日々お金なくして送れないからだ。現代生活はようく観察するとおかしなことが沢山ある。カタチの整わない野菜や果物は市場では受け付けない。日本人は美的な国民で見てくれを重視するので、農民は農薬使ったりビニールハウスで虫の食わないカタチのきれいな人工的な作物をつくるようになる。昔のようにいびつだったり多少虫食いがあったりした天然のものが人間にはいいのではなかろうか。この頃工場野菜なるものが発達している。土を一切使わず人工光線と水それに溶かした栄養で育て水も消毒循環してつかうので作物は洗わずに調理できる。極寒地や砂漠地帯では効用はあるだろう。また将来火星あたりに移住する準備としては面白いだろう。しかし燦燦と太陽の光を浴びて育つ野菜や果物は人の目に生きる喜びを与えるだろう。世界がみな有機農業をやり食糧を大切にし神への感謝の気持を持ったら工業が後退するが人間のテンポと幸福度はきっとあがるだろう。そして何よりも世界の人口をコントロールすることだ。文明が発達して自然の力も人間の力も弱まった事は確かのようだ。機械力に頼りすぎれば人間の肉体力も考える能力も落ちたと思う。現代文明の目指す所はボタン一つで自分の欲望を瞬時に充たすことだ。わかものはこんなイージーな生活に慣れてしまっているので味馬鹿になってしまっている。フランスでもバゲット(細長いフランスパン)の味が落ちたともう30年も前からいわれている。スーパーなどで売ってるバゲットは実に不味い。しかし若者はそんなことに頓着しない。それより食べながらテレビを見たり何かやったりするほうに気がとられるからだ。この頃自分のやりたいことやって食べていきたい若者が多いことは大変結構なことだがそのためレベルダウンを起こしていてそれが日常化すると舌馬鹿になる。絵なども素人が平気で売っているので一般が絵が分らないのでちょっと見てくれがいいと売れる。その結果若い絵描きも緊張無く仕事をするようになる。本当のアートは余技でやるのとは次元が違うのである。現代は玄人と素人の限界が無くなったといわれて久しい。スポーツもそうだ。昔は相撲はプロとアマの境界は歴然としていた。それは修行、稽古の仕方が違っていた。流汗悟道を地でゆくものだった。しごかれて死んだ新弟子がいましたが若い兄弟子も手加減がわからないのかもしれない。昔もこんなことがあったのだろうか。嘗てフランスの画商などは50前の画家を買うようなことは無かったといわれる。私は73だがこの頃また何か少し分ったような気がする。本当に何かが分るには50年はかかるだろう。或いは北斎のように90になって写実が分ってきた、かの天才にしてかくいわしめるほど芸の世界は深いものと思いたい。批評家なども芸(術)の深さが分らないことも多くとにかくボタン一つで事足りる文化は全てのレベルに影響しているだろう。楽をすることが習慣になると知能のレベルは確実に落ちるだろう。松下幸之助の政経塾で庭の落ち葉を毎日塾生に掃かせたら木の葉が全部落ちてから掃いたら1回で済むのじゃないですかといったら、幸之助が10年たってこれじゃどうにもならんなといったとか。しかし今そこを卒業した中堅政治家たちが明日の日本をよくしようと奮闘していて塾の教育が時代を正していることを我々は見る。社会に理想や夢がなければお金様に蹂躙されること請け合いでしょう。最近農業にスポットが当たりはじめてきているので日本の底力が再び地湧の菩薩のように湧き出てくることを期待したいし一翼を担う力は無いまでも声援は惜しまないつもりだし自分本来の仕事はボケに抗して頑張りたいです。
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