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2009年6月28日 - 2009年7月4日に作成された記事

2009年7月 2日 (木)

たまには情報を絶って静かになりたいものだ。

昨日年配の美術をやっておられるご婦人と話をしていて、私はアートの目的は精神や魂の浄化、昇華で、宗教ともダブル面があるが、今の若い人は何を目標にアートをやっているのかなといったところ、精神なんて意識してるというよりそんなものウザイと思っているんじゃないですかというので絶句しました。常日頃若い人との接触の無い私には今の若い人がどんな事考えているのか若いアーチストがどんなにアートを思って制作しているのか皆目分りません。4,50年前からアメリカのポップ、オップアートなどの現代アートが世界に殴りこみをかけ話題になってその後の10年は現代アートの主導権を握ったかにおもえるほど話題を提供しました。私などもほんの短い間ジャスパー.ジョーンズやアーネスト.トローバーに魅力を感じたこともありました。しかし世間の話題とは裏腹にアメリカ現代アートに根無し草を感じアートというよりアメリカという風土の風俗や流行を生む源にはなっても現在それらを振り返って心を豊かにするのではなく寒々とするのです。あの現象はアメリカン.カルチャーを世界に押し出すナショナリズムの演出ではなかったのかとも思います。敗戦後のインテリがアメリカの民主主義の幇間持ちや左翼の支持者が圧倒的に多く敗戦の1945年8月15日を境に180度宗旨を変え変身し生き延びました。多くの美術評論家がアメリカ現代アートに解説をし賞賛した。私には当時からアメリカ現代アートの超大作の破壊力が西洋などの伝統の美を無力化したと感じた。アメリカが資本の力と軍事力で世界に君臨し欠けているのは後は文化、アメリカ現代アートはその線に乗っ取ったナショナリズムではなかったかと思うのです。戦後メデアの影響力は凄いものがあります。新しい思想なり現象をメデアと資本力で世界的にすることはいとも簡単に出来るようになったというよりアメリカの常套手段となった。西洋や日本でもアメリカ現代アートの影響は甚大だった。私には美術には現代という時代的なものと時代を超えた永遠性の両方が必要と思っています。しかしアメリカ現代アートには永遠性を裏付けるものは見当たりません。今フェルメールやダ.ヴィンチの展覧会は長蛇の列が並びます。現代文明が無くしたものを求めて彼らの作品の中に永遠性を発見し安心と満足を得ているのではないでしょうか。この長蛇の列は単なるメデアによる宣伝の力なのだとしたらちと淋しいですが。いずれにせよ何か本物を目にしたいという欲求はこのくだらないものの氾濫のなかで当然起こってくるでしょう。科学技術の発達で地球上の情報の量と伝播力の速度は今や凄いものがありますが、生物としての人間のテンポというものはこんな速さは必要でないばかりか有害であります。情報の量と速度、これに人間は耐えられないのではないか、これと併行して経済、産業、金融、学問でさえ望むと望まないに拘らずスピードアップしていきます。そして人間の心の変化も併行します。この頃の社会の変化をみてまともな人にとってはキツイだろうなとつくづく感じます。文明の中心に永遠性が無くなったとき、人間の規範の源を失うことになるだろうことは必至であろう。今村 均大将にあって今無くなってしまったもの、若いアーチストが精神なんてむしろウザイと感ずる現代の内的、外的情況、金にしか頼れない人間に新しい希望を見つけるには大いなる決断、日本を日本本来の豊かな農村の復興と山林の再生へ価値の転換を図り自然に根ざした人間再生に向かいたいものだ。私にこうした気付きが20年早くきていたら実行できたろうにと残念です。この頃高速道路の料金が土、日一律ETCで1,000円になりましたが排気ガスがまたまたCO2を増やすでしょう。クルマ社会の習慣は容易に変えられないものです。未来にたいし、希望と絶望が交互しながら生きています。

こ2

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2009年7月 1日 (水)

今村 均大将の生き方を知る。

太平洋戦争が終わった1945年わたしは9歳小学校4年でした。そんなわけで東京軍事裁判もなにも分りませんでしたがこの頃第二次世界大戦が何であったか、日本の中国、東南アジアの侵略が100パーセント悪であって、ご存知のように戦後の歴史認識が自虐史であると教えられ、それが今日の日本に誇りをもたない国へ、政治への無関心な若者を育てました。世界で愛国教育を徹底してしない国は日本をおいてないだろう。いかなる国にもミスや不正を犯すのは避けられないが教育はその国の正義、長所、美徳などを強調して教えるのが当たり前で、戦後の教育は悪いことばかり羅列してひたすら第二次世界大戦あるいはその前の戦争をひたすら誤りとして謝ることに専念した観がある。これでは日本に愛国心を持てといっても無理な相談です。フランスだって植民地政策ではどれほどあこぎなこと、非人道的こと、弾圧など数限りなくやり莫大な富を自国にもたらしました。しかし教育では自由、平等、友愛を国のあり方の根本に据えていてそれに国民は誇りを持つように教育されています。今ではかなり幼少時から人種の差別は是正されていると私には思われる。教育は実に大切なものでアメリカでもアメリカ大陸はコロンブスによって発見されたとコロンブス記念日を国をあげて祝ってきましたがこの頃はコロンブスが何万というインデアンを殺戮した事実がわかり学校によってはアメリカ大陸を最初に発見したのはネイチヴインデアンの人たちであり我々白人は彼らの土地を奪い殺戮をしたと教えているそうです。こういった点では人類は進歩しているといえますが、大局的には文明の方向が個人の欲望の限りない開発と増大の路線を歩む限り人類に未来はないでしょう。人間を変えるには教育をおいて有効な手段はないでしょう。東京軍事裁判に戻りますが戦犯の中に元ラバウルの総司令官だった今村 均大将は常に現地人を擁護しとうとういくら究明しても死刑にする事実がないので9年だったかの服役のあと釈放されましたが自宅の庭に三坪の小屋を建てそこを独房として著作と死んだ兵士への祈りの生活を自らに終生課したそうです。著作で稼いだ金は全部遺族の生活や墓碑の費用につぎ込み彼が現金を持っていたのを見たことがないと証言する人もいます。勿論講演に依頼されれば出かけ講演料も遺族のために使ったでしょう。敗戦後それまでの日本の教育、国家の越し方を100パーセント我々日本人が否定することとアメリカ型民主主義を受け入れることをGHQに強制されたとはいえ猛省なく簡単に否定してしまいました。しかし今村 均大将の人格は戦前の教育によって形成されたものです。敗戦以来、教育は彼を越える人格のある人間を育成できたか、否である。功利的なアメリカ追従か左翼的なインテリを大量に輩出した。人間の越し方に100パーセント否はありえないのである。それは反省はしなければならない事はいうをまたないが100パーセント否定から出発するならばそれは愚かさを示すものであり根本の反省になりえないでしょう。否定して忘れる或いは棚上げすることは本当は人間の悟性を否定することでもあります。自国を守ることをアメリカに任せ、自らはひたすら経済の発展だけ考え、そしてアメリカのボスにはアメリカの国債を買わされ、防衛費を負担させられ、世界第二位の富める国になっても金満としか表現できない後ろめたさを持ち続ける国と国民になってしまいました。日本はアメリカ型資本主義の市場原理でなく資本社会主義を通すべきだったと思います。あれだけ稼いだ金で教育費を貧しい子弟に機会を与えることも出来なくこれほどに貧富の差をつくり一体あの時あった金は外国投資家の手に入ったのかと考えてしまいます。このままアメリカの言うなりになって統制の解放と市場原理主義を追従したら日本人として崩壊してしまうだろう。国民は今こそ日本人に一番合った国造りの方針と骨格作りを始めなければならない最後のチャンスではないかと気が気でありません。国は単に功利的、合理的思考だけで運営は出来ません。教育の根本にある人間作りが一番大切です。若い人のなかには途上国での活動に喜びを抱いて邁進しているひとも少なからずいます。若者が政治に関心を向けるには大人にそれだけのものを示さなければなりません。今村 均大将の敗戦後の生き方を生んだ戦前の教育で今も有効な点をもう一度教育の現場に反映させなければならないと痛感します。私などうっかりこの年になるまで日本のこと真剣にかんがえなかったなあと反省してます。こういう偉い日本人をもっともっと掘り起こさなければ、そして小中学校で教える必要があります。柔軟な脳に浸み込んで彼らの人格形成に肥やしとなるでしょう。

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