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2009年7月5日 - 2009年7月11日に作成された記事

2009年7月11日 (土)

世界一機械化が進んだ日本を自慢するより失ったものをも視野にいれなければ。

イギリスに18年住んで今は作家として活躍している人の最近出されて本を読んだらこんな文章に出会いました。日本には痴漢が結構あり時として有名な大学教授など捕まったりして話題を賑わしますが、イギリスでは18年間聞いたことがないといっています。彼のイギリス人の友人はこれを分析してこう語ったということです。日本人は物事に狭く深い興味があるから素晴らしい製品を生むことができる。したがって欲望の刺激も首筋、足首、脇の下、乳房といった局所に対して異常な欲望をそそられるのではないかと。一般的にいって、イギリス人にはそんな部分といったものに性の刺激を受けるよりは全体にたいしてそそられるとのことです。日本人は性に対しても想像で快感を楽しむのが得意かも知れません。嘗て友人のずーっと年上のフランス人がポルノ見るんだったらやった方がいいといってましたし、かれの経験も豊かなものでした。確かに欧米人と日本人の性に対するものは違います。牧畜民族と農耕民族とでは考え方もおおいに違います。それと作者がいってることは日本の方が現実とバーチャルな世界との境界がぼやけていて警察官、教師、医師などがつまらない痴漢行為で捕まり職を失ったり常識で考えられません。その時理性がはたらなくなるのは集団の中で自分がなくなり無名性になってことを行う、イギリス人は個が集団に入ろうが決して個の意識が明瞭で埋没しないので痴漢行為に及ばないといえるといっています。日本の社会は欧米と比べストレスが強いとみています。秋葉原に多く存在するメード喫茶など日本特有で若いサラリーマンなどがもっぱら常連なのも日本社会が若者が切り開いていく未来が無いのではないか、疲れきっているのではないか。昨日図書館の宗教欄の書棚の前に20代前半と思しき若者がいるのでめったに話しかける事はしないのですが、宗教に興味あるのと聞いたら、いやというのですが何か悩みに答えてくれるようなものをさがしていたのかもしれません。更に質問してみました。若いひとにとって社会に未来がないので不安でしょうといったら、不安ですといいました。専門学校の生徒のようでした。結構一人で悩んでいるのかもしれません。こういう若者にアドバイスや悩みに答えるような所は何処にあるのでしょうか。ケータイで大して意味の無い交信はしても本当の対話はないのではと思います。今の人間は小学生から自分の内部をさらけ出さない生き方を身につけているそうです。それは内部をさらけだすことによって嫌われ仲間はずれになることの恐怖があるといわれます。内部のおぞましさ、孤独などを隠し、表向き100パーセントの人間に自己同化したときそれは生産のパーツ、家族のなかでもパーツになりかねません。そこに社会が人間をパーツとみる見方が一般化していったら、むしろグローバル化の社会ではそうなるでしょう。多くの若者がおいらは取替え人間なのだと思った時世界はより冷ややかなものになるでしょう。特に日本は機械の進歩を率先しそれを抵抗無く社会に取り入れ、むしろ機会を神と看做します。そして人間がシステム以下になり人間疎外があれよあれよといってるうちに進行していってしまう。以前、電車の出札が自動になり、手に障害をもつひとが大変不自由になったということです。その上キップを切る改札係のときは障害児がどこかに集団ででかける時など係りが今日は何処に行くのと対話もあったということです。機械化、合理化が進めば目的を早めることはできても、人生の終着は死ですから、死にむかって一直線に突っ走っていくようなものです。人生はプロセスに意味があるのですからときとして道草をくったり、困っている人と共にあったりと合理と功利でがんじがらめで死にむかって加速度を増すような生き方しかフォーカスできない今日は全く余裕のない、機械に引っ張られる、つまらない世の中になったものだ。イギリスの生活はまだ何十年前のボイラーを使い多少不便でもお茶の時間を大切にしこの作者は身体に障害のあるわが子のためにイギリスに移住したことを正解と思っていることでしょう。先進国の中で一番機械化が進んでいると思っている我々が一番おぞましい社会をつくっているかもしれないという自己分析は怠ってはならないだろう。

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2009年7月10日 (金)

人間は21世紀再び奴隷となる。

私にはグローバリゼーションとは具体的にどういうものかわかりませんでした。しかし内山 節氏の「里という思想」を読んでおおよそ理解できた。それはアメリカという巨大なローカルな国のやりかたを世界のスタンダードとして特に経済を一元化するということです。それにたいしてそれぞれ文化や経済のシステムの伝統が違う国(ローカル)がその特性を温存したままで国際化を計る、いわば多層化を大切にする考えがあり、これが今、世界でアメリカの推し進めるグローバリゼーションと対立する思想と勢力である。こうして見るとアラブ諸国やアフリカ諸国がグローバリゼーションのなかにかつての植民地主義の亡霊の再来をみるのは当然でしょう。グローバリゼーションが富や情報の公正化に益するかと思ったら大間違いで強い者が正義であり弱者、敗退者は正義でないという弱肉強食の構造が益々鮮明になるのがその本質である。世界にとって一元化というのは強者が支配するには一番いい原理であります。この世界では今よりも一層人間の金をとる能力だけの価値に収斂されるだろう。世界は益々ゆったりして生きていくのとは正反対の社会になり人間の尊厳は無くなっていくでしょう。ここの所から世界各地で起こっているテロなど考えないとアメリカなどによりテロ=悪のレッテルを貼られアメリカの兵士たちが掃討のために政府によって動員され戦争は絶えない。誰が人、特に女子供を殺して喜ぶ人間がいますか。テロ集団のメンバーの多くが家族を殺され、家も職も失って人生に何も無くなって、テロ行為しかないとなったと思います。もしアメリカなどアラブの石油というものを狙わなかったら、今のテロによる混乱は最小限度にとどめられていたでしょう。大国の世界制覇は必然にシステムの一元化を伴うでしょう。今、先進国のなかにこのグローバリゼーションに反対する勢力が政府に反対して起こっています。彼らは伝統的なゆったりした生活を取り戻そうとしています。アメリカはアメリカスタンダードが一番合理的、民主的と考えてそれを世界に押し付けてきましたが、アメリカも一つのローカルに過ぎません。それがグローバルスタンダードになって世界が幸せになる筈がありません。何千年世界の人々は厳しくともそれぞれに調和を保ちゆったりした生活を送ってきました。白人が押し寄せる前まではネイチヴアメリカン(インデアン)は広大な自然のなかで少数の部族と平和を保ち自然を敬っていました。しかし白人の侵入で彼らの生活は一変し自然の調和も破れ巨大な国に成長しましたが長い目で見て地球の平穏には害になるかも知れません。歴史は急速にそれを証明する時がくるでしょう。9.11テロもアメリカ政府が知っていたという不思議な情報もあります。イラクを再攻撃するきっかけに利用したともいえます、いくら探しても大量破壊兵器など見つかりませんでしたから。強者の行動は常に正義、弱者は常に不正義、世界がこういう構造になったとき世界が幸福になる筈がありません。世界はアニメやゲームでえががれるような無慈悲な世界になるのも空想といっていられません。一流企業の正社員と非正規社員との格差、こんなシステムが瞬く間に定着してしまいました。グローバリゼーションがいかに人類を不幸に向かわせるかの認識を今持つべきであろう。前回も書きましたが今の文明は若者を「未来」として見ず「消費者」としか見ない。これで人間がもの化し単に入れ替えできるパーツに過ぎないと思うようになったら若者に未来はないでしょう。グローバル化は情報の公正化に繋がるどころかコントロール化が現実に行われています。人間の限度を越えた科学技術の発達は最早人間がコントロール不可能になってしまった所に今日の不幸があります。そして日々の急速な変化は永久に根本の病を究明できないまま流され続け、人は目先の楽しみに人生の価値を見つけ自分が退廃のなかにずんぶりひたっていることを社会も個人も意識できません。権力の座にいる少数のものだけが炯炯として世界戦略に飽くなき精力をつかっています。エジプト時代のように奴隷化は始まっているでしょう。

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2009年7月 9日 (木)

暑さ、そして文明。

夜中中雨降りだったようですが気温が下がらず寝苦しい一晩でした。夜中ぐらいはエアコンはつけたくないのでつけませんでした。昔は窓を開けて蚊帳をつって団扇であおいで寝苦しい夏の夜を過ごしたものでした。この頃こんな子供時代を思い出すことも殆どありません。私には1971年から1999年までパリで暮したことはたまには思い出します。地球温暖化は確実に進んだことは確かです。パリ生活の最初の24年間は扇風機1台もありませんでした。しかし25年目の夏1996年ごろだったかどうにも暑さに耐えられなくなってちゃちなクーラーだけのをわたしの寝室に備え付けました。日本製のと違い機能も良いものではありませんでしたが何とか暑さをしのぎました。その数年後フランスでは猛暑が襲い公称老人、子供8,000人、実際16,000人が死んだということでした。その頃までは三ツ星の伝統的なホテルにエアコンはほとんどありませんでした。当時のわたしの取引のあった画商が西日の当たる三ツ星ホテルに泊まっていて、暑さにやられ私のとこで横になってアイスノンを額と首にタオルで巻いてしばらく寝たことがありました。パリの最初の24年、夏、部屋の中で半袖でいるのは3週間程度で長袖で仕事をしてました。パリの古いアパートはパリ産の柔らかい石で夏にはひやっとして涼しいのです。女性の旅行者など夏薄着でいて下半身を冷やして膀胱炎になって医者に連れて行ったことがあります。パリは空気も悪く、その上暑さが加われば夏は耐え難いでしょう。昔、浜口陽三先生は夏のバカンスなんてとったことないとおっしゃってました。パリジャンは半分くらいいないしさわやかだし仕事に最高といってました。地球温暖化の真の原因がCO2だけなのかまだ知られざる原因があるのか、人類は20世紀には米ソが競って核実験を行い地球を汚染し、人間のエゴが人間はこの地球上で何をやってもいいと傲慢の限りをつくし、2回の世界大戦を起こし、神が与えた資源を浪費し、この行為を他の天体から或いは動植物からみたらさぞおぞましいものだろう。イギリスのノーベル賞詩人T.S エリオットは捨て去ることのない進歩といってました。その反対に白人たちはネイチヴアメリカン、エスキモー、アヴォリジーニなどの文化を一度強制的に捨てさせました。今日文化人類的に重要なことがわかり収集しようにも手遅れの感があります。白人の合理主義は人間の頭で短絡に切り捨てます。それにプラグマ主義が加われば今日のようなおぞましい世界を現出させます。人類は既に3,4千年前に人間が既に神の国から追放させられた存在というイメージを持っていたのでしょう。彼らは何とか神の国を取り戻そうと旧約聖書をまとめそれはユダヤ民族の歴史と精神史であったでしょう。彼らが4,000年国が無かったにもかかわらず民族として存続し得たのも彼らの宗教があったからでしょう。彼らが弱かった時代、ユダヤ人収容所で六百万という同胞が殺されましたが、強者となったイスラエルでパレスチナ人を圧迫しているのは立場が変れば人間同じ事をすることを示していて暗澹たる気持になります。50年もすると台湾、日本、韓国など中国に併合されるという論者もいます。人類は果たして進化しているのでしょうか。本当に進化すると言うのは何をしていうのでしょうか。我々は目先の欲望をようく見極める訓練が必要のようです。

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2009年7月 8日 (水)

デンマークのように人間の尊厳を大切にするくにづくりを願う。

しばらくお休みしました。私は暑さに超弱いのです。頭が回転せず自分の仕事だけ辛うじてやってました。本題に入りますが今の子供が何不自由ないのに突然キレたり、親に向かって暴力を振るったりするのは、親が子供が意志表示する前に子供が欲しいものをすぐ与えてしまうことがわずらわしいとか、イライラしてしまう、子供が本当に欲しているものは親の愛とか話し合いが欠乏している、そんなわけで望まないものをどんどん与えられると爆発してしまう、こんなことのようです。社会はというと、企業は現代人がストレスを感じたりしていることを探し当てそれをその時だけ解消するような製品を開発し利益をあげる。つい2,3日前、恋人とうまくいかないときにそのもやもやを解消するゲームソフトが製品化されたと報じていました。これは子供が欲しないものを親がどんどん与えてキレさせるのではなく、もやもやの恋人には喜ばしい瞬時解消できる製品と受け入れるかも知れないがパチンコと同じようにその時だけ解消していたら、人生の深刻な問題もその時逃げ切るような習慣ができてしまう。ますます自立精神は育たないのではないか。これから企業は重箱の隅を突っつくようにこのような製品の開発をエスカレートしていくのではないか。また、今日本では40から50代の女性が金を出すそうで、化粧品会社が今までこの世代をあまりターゲットにした化粧品の開発に積極的ではなかったそうです。此処に目をつけた化粧品会社が売り上げを伸ばしているとありました。私が愛読しているインド人M.Kシャルマ氏が「喪失の国、日本」の中でいっています。現代文明は若者を゛未来"と見ず゛消費者"としか見ない。また現代文明はどこか阿片と似ている。企業はどんどん儲かるが、購買者の心はどんどん蝕まれていく。彼がいうように新しい製品は人間をどんどん変容し、知らず知らずのうちにジコチュウになり、世界の資源は益々浪費され、CO2削減どころか増え続けるだろう。中国、インドなどこれから物質文明の恩恵を先進国並みに受けることを楽しみに努力、邁進しているので先が思いやられます。我々先進国は地球上にこのような非可逆な崩壊に向かう文明をつくってしまいました。あらゆる生きとし生けるものは他の命を犠牲にしてしか生きられないのです。地球上で調和をとって存在するには他の犠牲は最小限にとどめなければならないのが現行文明は人間にどんどん欲望を感じさせ、それを充たすものを競争して開発し、生き延びるために人間に害をなすものを多々生んでいます。人間は本来欲望をコントロールしていかなくてはならないことを教わっていたし、無駄をしないということは倫理でもありました。何回か書きましたが、前述のシャルマ氏は生産者の人生から学べるような距離でものを求めたいというようなことをいっています。話は飛躍しますが、マイケル.ジャクソンの葬儀、裕次郎の23回忌には物凄いひとが集まりましたが、このようなスーパースターは彼らにとって神なのかもしれません。神無き世の神、これはメデアと巨大な資本力がつくりあげた幻想でもあるでしょう。紀元前からブッダやキリスト、ソクラテスなど、幻想を払拭したところに真の存在が厳存することを説いていますが、紀元前よりも、現代が何千倍の幻想のなかで生きているのは間違いないでしょう。かつて人のつくったもののなかに人の心にぬくもりを感じさせましたが、現代の製品には本来量産と最後にスクラップになることが宿命づけられています。昔の人はものを単にものとして見ずこころがある、ということは大切にしたということです。今、ものは単にものである。現代が人をもののように殺せるのも、大量生産、大量消費、大量廃棄の流れの必然の結果ではないだろうか。現代文明は限りなく人間をも破壊し続けているのではないか。この文明の心性を変えることは至難でしょう。身近な人間とのかかわりを大切にすることから踏み出すきりないのかも知れません。

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